熊本にキンシコウがやってきた日
1988年(昭和63年)6月21日地元新聞紙(熊本日日新聞)に、『孫悟空のモデル、珍獣「金絲猴」来夏、熊本に』の記事が掲載されました。金絲猴が熊本に来ることは聞いていましたが、詳細は新聞で知ることとなりました。記事では熊本市制百周年記念事業の一環として来年(平成元年)8月から3ヶ月間、熊本市動物園(平成3年から熊本市動植物園)で一般公開されると報じられました。この借用協定は「貸与期間中の飼育は、中国から派遣する獣医師ら3人と熊本市が共同で当たる。また、輸送費や保険料、金絲猴の保護・研究費として計10万ドル(約1,260万円)を中国側に支払うことで合意した。」というものでした。「・・・ということは、来園まで1年ちょっとしかない!?」大きな不安に包まれましたが、むしろ期待の方が大きく、この1年は忙しくなるぞという意気込みを感じました。その当時は今ほどインターネットが発達しておらず、金絲猴に関する資料が乏しい中、飼育経験のある、広島市に連絡を取り飼育に関する情報を収集するとともに、獣舎建設に向けても図面・写真等を取り寄せ、来園に間に合わせるために施設係と何度も打合せを行うなど、慌しく動きました。甲斐あって獣舎は平成元年3月10日竣工することができ、その他の準備も順調に進んでいました。

そんな最中、1998年(平成元年)6月4日に勃発したのが中国・天安門事件。金絲猴は熊本の環境に慣れさせるため7月4日に来熊する予定となっていました。1月前です。「え!?金絲猴はどうなるの!?」関係者のほとんどは、この事件に驚き、そして来園が中止になるのではないかという絶望感が立ちこめていました。それから3日後、市の国際交流室が中国動物園協会に問い合わせを行い、現在の状況が悪化しなければ予定どおり上海動物園から金絲猴1ペアーを熊本へ送るという情報が入ったときは胸をなでおろしました。
そして7月4日がやってきました。長崎空港まで私は運転手兼金絲猴に異常があった時のための獣医師として金絲猴を出迎えに行きました。助役等を乗せた黒塗りの車2台が前後に付き、まさにVIP待遇の様相です。長崎空港には午後6時頃到着し7時頃検疫を受けて出てくる予定とのことでかなりの時間待機していました。やがて、2つの動物輸送箱が運ばれてきました。全面穴付きベニヤに覆われ、中を見ることは出来ません。はやる気持ちを押さえながら、ついに前面の戸をあけました。「なんて綺麗な猿なんだ!!」私たち全員が、感動に声を漏らしました。私たちの様子を見ていた空港職員たちも駆け寄ってきて、驚きの声を上げました。金絲猴の健康状態も問題なさそうなので、早速車に積み込み熊本を目指しました。私は金絲猴を乗せているので安全運転でゆっくり運転したかったのですが、黒塗りの車は、市長が動物園で出迎えるということで到着時間を気にしてか、かなりのスピードで運転します。付いていくのがやっとで、車の高速警報アラームは鳴りっぱなしです。3時間の運転中、休憩はただの1回だけ。午後10時半に動物園に到着しましたが、歓迎セレモニーのため暫く門の前で待機した後、市長以下幹部職員、報道陣が待つ金絲猴舎へゆっくりと車を進めました。ここでも箱の戸を開けお披露目をしたところ、ここでも大きな歓声が上がりました。金絲猴を獣舎に収容し餌をやり動物園を出たのは翌日午前1時を過ぎていました。

翌日から、中国から来た3名(獣医師、飼育員、通訳)と合同の金絲猴の飼育が始まりました。前日到着後に給餌した餌は♂(小名)は全て採食していましたが、♀(珍々)は殆ど食べていませんが、そのうち食べるようになるだろうと軽い気持ちでいました。オスの小名は順調に熊本の環境に慣れてくれましたが、メスの珍々は5日経っても水以外は殆ど採食しません。珍々は、食べていない割には元気ですが、さすがに心配と焦りが我々のなかで大きくなりました。金絲猴が来熊して以来、獣舎では夜間観察と警備のため職員が交代で常駐していました。採食しない日が10日程過ぎ、珍々に関する飼育会議となりました。中国のスタッフは「明日にでも捕獲し栄養点滴をしないといけない」と主張しましたが、話合いの結果、栄養点滴をしてもストレスが掛かりその後また食べなくなる可能性があるため、現在採食量は少ないが、珍々はまだ活発であり、桃などの甘く水分の多い果物に興味を持っているので、もう暫く様子を見ようということになりました。それから2日後、やっと珍々が桃を約半分食べてくれました。うれしくて、苦労が報われた喜びで胸が熱くなりました。それからは果物を中心に、リーフイータの本来の主食である木の葉も食べるようになり、やっとのことで8月1日の一般公開を迎えることができたのです。
現在、国内で金絲猴を飼育している園は熊本市だけとなりました。5頭(♂3、♀2)を飼育していますが、親子関係にあるため繁殖させることが出来ません。私は定年まで後1年半ですが、在任中に中国から新しい血液を導入し、この美しい金絲猴をいつまでも、熊本に行けば会える状態にしたいと考えています。
